2025/06/09 21:36
2001年1月11日。
母と親友に見送られ、ついに福岡空港からマレーシア航空クアラルンプール行に乗り込む。9.9kgのバックパックは「メガネが入ってる」の一言で機内持ち込みを許してもらえた。よかった。どんな扱いをされるか分からないので安心する。
離陸待ちの機内で、窓に打ち付ける雨を見ながらなんとも言えない寂しさに襲われた。出国審査前に海外経験豊富な親友が「この先はホントに1人よ」と言った言葉がよみがえる。あれほどまでに心待ちにした日だというのに、なんだこの胸苦しさは。
航空券が機械から出てこなくてスタッフのお姉さんが無理やり引き抜いてぐしゃぐしゃだったこととか、金属探知機でやたら引っかかったこととか、朝食のブロッコリーに茹で上がった芋虫がついてたこととか、マイナスなことが色々思い出される。
いやいやいや!
なんのために仕事を辞めたと思ってんだ!
自分に喝を入れてCAさんの民族衣装のような素敵な制服を見てテンションを上げようと試みる。
送迎デッキに目を移すと、知った顔を探しては早くもこの先1人という孤独感に押しつぶされそうになる。次に日本語話すのはいつなんだろう…
離陸して福岡の町が見えた時、無意識のうちに大好きな職場であった紅茶専門店チャイハナのある方向に向かって「ごめんね」と謝っていた。大学で歴史学科にいた私はイギリス文化史に興味を持ち、そこから紅茶の世界にのめり込み、チャイハナでは好きなように店を任せてもらった。
それが、21世紀が来るという理由で一方的に去ることになり、本当に申し訳なくて。
後悔のない時間を過ごさなくては失礼になる。
いつの間にか雨雲を通り越し、雲の上に広がる美しい光の世界に包まれた時、さっきまでの寂しさや不安は吹き飛んで新しい自分の世界に突き進む前向きな気持ちへと変化していた。
クアラルンプールで乗り換えのため一旦飛行機を降り、空港内で旅の予習をし、オランダはアムステルダムにあるスキポール空港行きに乗り込む。
私は通路側の席だったのに、窓際のイケメン外国人が「窓際に乗りなよ」と席を交代してくれた。してくれたのか?させられたのか?突然訪れた外国人とのコミュニケーションの機会に動揺する私。なんか分からないけどまあありがたい。その後勇気をだしてこちらから話しかけてみると、彼はPeterといってインド、アフリカ、オーストラリアを飛び回る旅人らしく、どうやら真新しいバックパックを持ってきた私に対して窓からの眺めを譲ってくれたらしい。オー!サンキューサンキュー。
翌朝スキポール空港に到着するとPeterと別れ(旅先で最初の別れとなった)、まずはインフォメーションに行ってついにユーレイルパス(鉄道3ヶ月乗り放題切符)をバリデード(使い始めの日時を記す)してもらった。いよいよスタートだ!競馬のスタートゲートがガシャンと開いた音が脳内に響いた気がした。
分からないことはとにかく人に聞きまくって列車の場所を確認。ドイツ方面に向かうため、ひとまずベルリン行きの特急に乗り込む。コンパートメントってだけで異国を感じてテンションが上がる。

同室に座ったおじさんおばさんに「私はハンブルグに行ってみたいけど、ベルリンとどっちがオススメ?」と聞くと「私たちはハンブルグ出身だけどまずはベルリン行ってみなきゃ!」と言われたので、あっさりハンブルグ行くのをやめて終点のベルリンで下車することに決めた。もう1つおばちゃんに教えてもらったのは、私の中でドイツと言えばビールだったんだけど「白ワインこそ飲まなくちゃ」とのこと。確かに!
いいねいいね。こういう情報ウエルカムよー!美味しい食べ物や飲み物を想像したらワクワクが止まらなくなってきた。
ベルリンに到着してT/Cを80$分ドイツマルクに両替。そしてまずはツーリストインフォメーション(観光案内所。スマホがない時代、頼るべきは案内所のみ!私はこの旅で何度「Where is the tourist information?」と言っただろうか)探して、宿の聞き込み開始。旅人らしい宿に泊まるぞー!なんて意気込んでいたものの、今はもう疲れ果ててベッドに横になりたくて仕方ない。日本を出て何時間経ったんだ。。
妥協して1番近いユースホステル(1泊1800円弱)に泊まることにした。小学生の頃集団宿泊で泊まったような可もなく不可もなくといったところ。まあ、英気を養って明日にはここを出るんだぜ。今夜だけはここで勘弁してやr……zzz
19時から翌朝6時まで爆睡。
バイキング式の朝食がついていたので、昼ごはん抜きになってもいいくらい食いだめして出発。さあ、ベルリンを歩いて、いい宿見つけるぞ!
公園の屋台でプレッツェルを買って鼻息荒く意気込んだものの、薄暗く体の芯まで冷えるほど寒いベルリンは私に旅の洗礼を浴びせるのである。
